ケンブリッジ飛鳥選手の経歴やエピソードについてご紹介!

今回は陸上競技の選手紹介という事で「ケンブリッジ飛鳥」選手の経歴や実績などについてご紹介させていただければと思います!

今やケンブリッジ飛鳥選手は陸上競技で日本のトップクラスというだけではなくスポーツ雑誌のモデルやタレントとして活躍する場も増えてきているマルチな才能を持っている一面も出てきました。

それもそのはず、ケンブリッジ飛鳥選手は陸上競技の実績だけでなく多くの人々にはイケメンと呼ばれるルックスを持っており、身体能力だけでなく外見も素晴らしい逸材です。

そんなケンブリッジ飛鳥選手の知られざる魅力をご紹介させていただければと思いますのでご存じではない方も最後までご覧いただければと思います!

 

ケンブリッジ飛鳥選手のプロフィール

生年月日 1993年5月31日
身長 180cm
所属 ナイキ

主な実績
2016年 リオデジャネイロオリンピック
100m 準決勝敗退
4×100m 銀メダル

2016年 日本選手権優勝(100m)

自己ベスト
100m 10″08
200m 20″62
※2020年2月現在

ケンブリッジ飛鳥選手は日本人の母親とジャマイカ人の父親をもつハーフで、出身地は父親の母国ジャマイカになります。
2歳の頃に日本の大阪府へ移住してきたようですね。

陸上競技を始める前の小学生時代は6年間サッカーに没頭していたようでその頃から足の速さが目立っていたようで、中学に進学とともに陸上競技部の顧問に誘われ田ことをきっかけに陸上を始めました。

 

ケンブリッジ飛鳥選手の経歴

中学時代の経歴は3年生の時には全日本中学校選手権に出場したものの入賞とまでは至らなかったそうです。

 

高校時代のケンブリッジ飛鳥選手

高校は東京都内の名門校「東京高校」へ進学し、2年生の6月には個人で南関東大会200mに出場するも予選5着となり予選敗退というほどの実力でした。
しかし10月に行われた関東高校新人あたりから才能が開花し、200m走では他の選手をを寄せ付けない速さで優勝という形で2年生のシーズンに幕を閉じました。

3年生になるとその実力はさらに伸び、昨年予選落ちに終わった南関東大会でも100mで3位【10″66(+0.1)】200mでは2位【21″40(-0.9)】という実績を残しインターハイへ出場致しました!

その後のインターハイ本選では100mで3位200mで4位と全国大会でも上位入賞という成績を残しておりました。

しかし日本一というタイトルは現段階で高校時代に獲得することはできておらず、同級生だけではなく下級生にも先着を許してしまっていたという状況でしたが10月に行われた日本ジュニアでさらに才能が開花!

愛知県瑞穂運動場で行われた日本ジュニアの200mで優勝!見事初の個人日本一を【21″21(-0.2)】という記録で獲得致しました!
20歳未満の大学生も参加できる中でのタイトルという事でしたので今後に繋がる経験となったのではないでしょうか。

また、チームとしての実績では4×100mRで当時の日本高校記録となる40″02という記録を所属している東京高校で打ち立て、自身初の日本高校記録も出しておりました。

しかし目標としては39秒台を掲げていたので高校記録は打ち立てたものの悔やまれる形にもなりました。

 

大学時代のケンブリッジ飛鳥選手

高校卒業後は日本大学へ進学し、主力メンバーとして1年生の時から活躍、入学してすぐの5月の関東インカレでは上級生に負けを劣らず100m、200m、4×100mRの3種目で入賞を果たすなどすぐに実績を残しております。

また、国際大会では7月のアジアジュニアにも出場し、39″02という記録で銅メダル獲得にも貢献しました。

 

2年生時には10月の東アジア選手権に出場し、200mで自身初となる国際大会でのタイトルを獲得という経歴も持っております。また、4×100mRにおいては日本チームとしても出場し、3走を務めた末大会記録、そして混合の日本学生記録を打ち立て優勝にも貢献しております。

 

3年生時には5月の関東インカレで100mにおいて自己ベストを更新するなど幸先のいいシーズン空けとなりましたがその後の試合で太ももを痛めてしまう結果に。翌月の日本選手権においても200mの予選で足を痛めてしまい棄権するなど怪我の続くシーズンとなってしまいました。

 

4年生となり大学最終学年ではシーズン空け怪我に見舞われていたりなどの不安もありましたが関東インカレで初優勝を飾っています。

 

社会人のケンブリッジ飛鳥選手

大学時代の後半は怪我に見舞われることも多くありましたが2016年の4月から社会人として株式会社ドームに入社致します。

社会人1年目となった2016年に転機が訪れ、今まで200mを専門というイメージがありましたが今季は100mを中心にレースに参加。

 

4月に行われた織田記念では100mで【10秒35(-2.5)】という記録を向かい風が強い中でマークし、翌月の東日本実業では自己ベストとなる10秒10という素晴らしい記録をマークしました!

2016年のリオデジャネイロオリンピックの標準記録も突破。そして6月の日本選手権では2強と言われていた桐生祥秀山縣亮太を破り100mで初優勝を飾りました。

この辺りからケンブリッジ飛鳥という名前が世間に知れ渡りはじめ、8月のリオデジャネイロオリンピックでさらにその名を轟かせることとなったのです。

 

リオデジャネイロオリンピックでは個人種目で100m準決勝へ進出したものの決勝へ駒を進めることは叶わず敗退。しかし4×100mRでは予選で日本初となる37秒台の記録をマークし37秒68のアジア新記録で決勝へ進出致しました。

そして迎えた翌日の決勝では先日の記録を上回る37秒60という従来の日本記録を0.4秒以上上回る記録で銀メダル獲得に貢献したのです!

 

その時の感動は視聴者側としてもかなり印象深く、ケンブリッジ飛鳥選手はアンカーを務めたのですがバトンが渡った際にすぐ隣にはあのウサイン・ボルト選手が。

世界記録保持者のジャマイカチーム、そしてウサイン・ボルトと競り合うケンブリッジ飛鳥選手は走っている最中にボルト選手に接触してしまうトラブルなどありましたが無事銀メダル獲得という結果で日本中が喚起に包まれていましたね。

 

リオデジャネイロオリンピックを通じて世間にケンブリッジ飛鳥の名前が広まりその後CMやモデル活動も広まっていったのではないでしょうか。

そして12月にはプロ転向を表明し、所属している株式会社ドームを退社。翌年4月には新たな所属先が「ナイキ」であることを表明しプロとしての活躍が期待されている。

その後2017年の日本選手権では当時日本歴代8位となる10秒08を(-0.9)という向かい風でマークし、日本人初の9秒台に最も近いと言われる記録を打ち立てたのである。

 

ケンブリッジ飛鳥選手のエピソードなど

ケンブリッジ飛鳥選手は2014年に父親の母国で出身地でもあるジャマイカへ修行の為単身で渡り、陸上競技のトレーニングを積みに行った。

その際にウサイン・ボルト選手も所属するレーサーズトラッククラブという陸上競技のクラブチームで1週間ほど練習を経験したのである。

ウサイン・ボルトは居なかったものの世界トップレベルの競技能力を持つヨハンブレーク選手らと練習を行った際に「体が小さい」と言われ世界の強豪との体格差を痛感したという。

その後の冬季練習では肉体改造に力を入れ、もともと73㎏程だった体重を78㎏に増加させ筋肉量を大幅に増やしたのである。

 

2017年の4月にはアメリカフロリダ州で行われたレースで追い風参考ながら100mで9秒台をマーク。その際に記録だけを見ればなかなかいい感じだと本人も納得であった。

 

ケンブリッジ飛鳥選手のまとめ

今回は短距離選手のケンブリッジ飛鳥選手をご紹介させていただきました!

中学時代などは主に目立った記録は残しておりませんでしたが、高校、大学、そして社会人と年齢を重ねるごとに本来の持っている力を引き出しオリンピックでメダルを獲得するまでに成長しました。

最近の陸上日本短距離界はとても熾烈な戦いで2020年の東京オリンピックでは9秒台を出さないとリレーメンバーに入れるか危ういほどともいわれているので是非今後の活躍に期待したいところであります。