ウサインボルト引退、9年間の伝説を振り返る

2017年のロンドン世界陸上で100m、200m、4×100mリレーの世界記録保持者ウサインボルトが引退を表明。数々の伝説を打ち立ててきたボルトについて振り返ってみようと思います。

ウサインボルトの経歴

彼は元々クリケットの選手であり、陸上とは全く無縁の生活を送っていた。そして陸上競技を始めるようになり、2002年地元ジャマイカで開催された世界ジュニア選手権200mに出場すると、15歳という若さで優勝して名前を轟かせていった。

その2年後、17歳の時には200mで初めてジュニアで20秒を切る19秒93の記録をマーク。この記録は2017年現在も世界ジュニア記録として残っている。

2005年には世界陸上200mで決勝には進んだものレース中に右足を負傷し、26秒27という結果で最下位に終わってしまう。

その2年後の世界陸上では200m準優勝と言う結果でアメリカのタイソンゲイに続く銀メダルを獲得。そしてこの翌年からウサインボルトの伝説が始まったのであった。

2008年 (北京オリンピック)

元々200mの選手であったボルトは、コーチに400mを勧められたが「練習がきついから嫌だ。1度だけ100mを走らせて欲しい。」と申し出てその結果次第で今後どの競技を続けるかと言う瀬戸際に。

初めて出た100mは10秒03と言うまずまずの記録。ボルトは100mにも専念するようになったのである。

アサファパウエルの持つ世界記録を破り、9秒72の記録まで打ち立てた。そして世界を轟かせた北京オリンピック男子100m決勝においてウサインボルトは9秒69を記録し、圧巻の優勝。

ゴール直前には胸を叩き両手を広げるというパフォイーマンスを見せつける。同大会の200mにも出場し、マイケルジョンソンの不滅の世界記録と言われた19秒32をあっさりと破る19秒30を記録。北京オリンピックの主役に躍り出たのである。

2009年 (世界陸上ベルリン大会)

ボルトの伝説は勢いを止まることなく高調子で望んだベルリン世界陸上。100mではなんと9秒58と言う驚異的な世界記録で優勝。自分の持つ世界記録を0秒11も更新したのである。

これは電気時計の導入が始まって以来最大の更新は場であり、9秒5台と言う数字が出るのは誰も予想していなかった。

そして200mにも出場し、またもや自身の持つ世界記録を0秒11更新し、19秒19と言うとんでもない記録を叩き出してしまったのである。

2010年

2010年はオリンピックも世界陸上も行われない年となったため世界を賑わすようなパフォーマンスはなかったものの、噂では400mに挑戦し42秒台の記録を狙えるであろうと言われていたが実際に実現することはな買った。

2011年 (世界陸上テグ大会)

昨年大きな大会もなく休養期間に当てたボルトは2011年韓国テグで開催された世界陸上に出場。100mでは順調に決勝まで駒を勧めたもののなんとフライングで失格してしまうと言う形に。

今回のテグ大会から1発失格のルールが設けられ、新ルールが仇となってしまったのがウサインボルトであった。5日後の200mには十分の注意を払って大会に望み、見事優勝。

世界記録とまではいかなかったものの連覇を達成した。

2012年 (ロンドンオリンピック)

この年のジャマイカ選手権では100m、200mに出場するものの共に2位という結果で終えた。北京オリンピックに続く2度目のオリンピックに出場し、ジャマイカ選手権ではあまり調子が上がっていなかったもののしっかりと100m、200m共に優勝したのであった。

この時100mでは自身の持つオリンピック記録を更新し、9秒63の高記録での優勝だった。この時の最高時速は45.39km/hであり、世界記録を出したベルリンの時の最高時速を上回っていた。

4×100mリレーにも出場しアンカーを務め、36秒84の世界初となる36秒台の世界記録で優勝を飾り北京オリンピックに続く3冠を達成したのである。

2013年 (世界陸上モスクワ大会)

この年の世界陸上の100m決勝の舞台は雷鳴の轟く豪雨の中行われた。正直アメリカのジャスティンガトリンも延期になるのではないかと思ったくらいの悪天候であったがボルトは9秒77の今期世界最高記録で優勝し、前回のテグ大会の屈辱を晴らした。200mにおいても19秒66の今期世界最高記録で優勝し、世界陸上200m3連覇を達成した。

2014年

2010年同様世界大会の行われない年であり、目立った活躍というものはあまりメディアで取り上げられることはなかった。

2015年 (世界陸上北京大会)

この年はアメリカのジャスティンガトリンが好調な仕上がりで世界陸上に望んでいた。ガトリンは予選9秒83、準決勝9秒77ととてもいい記録で決勝へ進んだのに対してボルトは準決勝でスタート直後バランスを崩し、かなりの出遅れがあったものの9秒96で決勝へ進出。

ボルトのような一流選手でもスタートを失敗することがあるとしみじみ伝わってきたレースであった。そして決勝はガトリンと一騎打ちになり100分の1秒差でボルトが連覇を達成した。

2016年 (リオデジャネイロオリンピック)

2016年はオリンピック前のジャマイカ大会は怪我で棄権。誰もが連覇を危ういと感じていた大会になったであろう。しかしウサインボルトは世界の頂点に立つものの意地として100m、200m、4×100mリレーの3冠、そして3連覇をと言う偉業を成し遂げたのであった。

この年日本チームは4×100mリレーでジャマイカに次ぐ銀メダルを獲得するなど著しい成長が見られた年でもあった。

2017年 (世界陸上ロンドン大会)

現在行われている世界陸上ロンドン大会において波乱が起こる。今大会でウサインボルトは引退を表明し、200mには出場しないことが決定している。

100mでは昔のようなキレのある走りが見られず、なんとあのウサインボルトが100mで3位という結果に終わってしまったのである。

記録は9秒95だった。

優勝はアメリカのジャスティンガトリンで9秒92。ガトリンは12年ぶりの金メダルを手にしたのである。4×100mリレーにも出場予定であると述べていたためこちらも競技終了後に更新させていただきます。

まとめ

数々の伝説を打ち立ててきたウサインボルトですが今年の世界陸上で引退してしまいます。次にボルトのようになるのは一体誰なのか?

そして世界記録が更新されるまで何年かかるのかなど気になる点は多くありますが、今後の若手選手、そして日本選手もどこまで世界に食らいつくことができるのかなど注目ポイントはたくさんあります。

是非これからも自分の人生を歩んでいってほしいと思います。ウサインボルト選手、お疲れ様でした!

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